【-  公開日  -】 2018年05月16日

結局、学校はどうあるべきか?

記事読了まで約〈 6 分26秒 〉です。

以前から何度か教育についての提言をこのブログ上でしていますが、ツイッター上で家入さんの学校の話がよくツイートされているようなので、そろそろ具体的な理想像を書いておこうかなと思います。

個人的なスタンスは『自分から学ぶ=アクティブラーニング』です。

あくまでも個人的意見なので参考程度にご覧ください。

毎朝、決められた時間に学校に行くべきか?

今の社会ではこれが当たり前と取られていますが、個人的にはNOだと思います

そもそも朝早く学校に行かなければならない理由ってなんでしょうか?

行かないほうがいい理由なら『睡眠はきっちり取るべき』とか『やる気のないことに時間を割くだけ無駄』とか『一人でやるほうが考える』とかたくさんありますが、行くべき理由はただひとつ『他人と一緒のほうが管理しやすい』ってことだけですよね?

しかもこれ、学ぶ側のメリットではなく、教える側のメリットです。

コンピュータが発達して、個人で勝手に学ぼうと思えば学べる時代に、なんで黒板に先生が書くのをずっと待つ必要があるのでしょう?

『集団教育の優位性』とは、そもそも教える人間が少ない時代にコストパフォーマンスを考えて作られた制度だったという点です。少なくとも個人が自由に情報にアクセスできる今、それ自体がほとんど無意味でしょう。

ということでこの質問の答えは『朝早くに我慢していく必要はないし、そもそも勉強をしたくない日には行くだけ無駄』ということになります。

集団教育って重要でしょ?

集団教育は社会性・協調性を育てるために重要だという意見がありますが、この意見には一部は賛成です。

他人と協力して何かを作っていくためには、単に自分のやりたいことだけではダメで、当然ながら他人の気持ちを理解しておく必要もあります。

だから『子ども一人ひとりを積極的に参加させる必要のあるタイミングで、個々が自分の責任を果たすのであれば必要』だと思います。

ただし、今のように一部が頑張って、他の人間がぶら下がるだけならばむしろ害悪でしょう。

少なくとも、ある教科を学ぶためだけであれば、わざわざ机を並べてペースまで横並びにする必要性は皆無です。

集団教育が必要なのはあくまでも『何かを作り出す時』だけですね。

競争させたほうが伸びるのでは?

これが一番やっかいだと思います。

確かに負けず嫌いなど、一部の性格の人にとっては競争はメリットかも知れませんが、世の中の子ども全てが他人と競争するために学校に通っているわけではありません。

ですが今の学校の大半は児童・生徒を学校側が用意したフィールドで勝手に相対評価してしまっています。

そもそも得意なことも興味のあることも全く違うのに、なぜ国語・算数・理科・社会・英語などの全教科引っ括めて評価してしまうのでしょうか?

全く特性の違う人間同士で競争させたところで、それ自体には意味があるとは思えません。そのやり方は「勝っている人間に満足感を与えるため」でしかないわけです。

下には下がいるから、という理由で努力させることは、その他大勢を切り捨てることでもあるので、個人的には教育からの『競争原理の排除』は前提だと思います。

先生たちも頑張っているんだから、文句言う方がおかしいでしょ?

こういう人が一番ダメだと思います。「頑張っているから」はあくまでも自分を正当化する言葉です。

そもそも先生の役割は「子どもに勉強を教えること」であって「自分たちが頑張ること」ではありません

子どもが望んでいないのに学校や大人の都合で押し付けていること、ってけっこう多いんじゃないでしょうか?

それに一人~二人の先生が20人以上の子どもに一斉に教えようというスタイル自体が効率の観点で言えば成り立ちません。

子ども自身が自分で学習したことを発表させて、その努力を褒めてやるほうがよっぽどメリットのある教育だと思います。

つまり今のやり方は非効率な上に教師を疲弊させることにしかなっていないというわけです。

もし、『頑張っている』というのであれば、それぞれの子ども達の能力を伸ばすことに全力になるべきです。

部活って必要?

よく『部活に入部必須』の学校ってありますよね。

あれって正直なんの意味があるの?って感じです。

そもそもマナーや努力を学ばせたいのであれば、そんな閉鎖的な組織の中ではなく、外のコミュニティーにある大人も参加するサークルにでも入らせればいいんです。

いい人ばかりではないから…を言い訳にしている人が多いですが、そんなもの閉鎖環境の中でも同じです。むしろ閉鎖的な状況のほうが無駄な上下関係が生まれてしまいます。

無理に生徒に入部させ、しかも教師にその指導をさせること自体が特殊な上下関係を生んでしまうし、両者を疲弊させるわけですから、これに関しては『絶対的に不必要』だと考えています。

じゃあ、どうするのか?

結局こういうことになります。

  • 学校は行かなければならない場所ではなく、学びに行きたい場所であることが前提(無理に行かせない)
  • 横並びのレベル・スピードでの集団教育を止め、コンピューターなどを使い、個々にあった方法に変える
  • 他者との競争ではなく、子ども自身の立てた目標への達成度で絶対評価する。
  • 学校を先生が頑張る場ではなく、子ども達が自発的に頑張るための場にする
  • 部活動は学校外のサークルを利用する
  • そもそも特殊な場所にしないために教えられることを明確にする(選択制の導入や役割の明文化)

学校ってとにかく生産性・効率を度外視した特殊な場所だと思われがちなので、このくらいは当たり前だと思います。

個人的には『学校という施設を行きたい人間が行く場にしてしまえばいい』とさえ思っています。N高等学校のような通信制の学校だっていいじゃないかと…。

結論を言えば『学校というのは効率よく学ぶためのシステムであって、場所ではない』ってことですね。

以上、自分勝手な『理想の学校論』でした。

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筆者紹介

ほんと参った

一応このブログの管理をやっております。 基本スタンスは「テキトーにやる」なので、あまり期待せずに見ていただければ幸いです。 何か御用がありましたらお問い合わせページよりご連絡ください。 ちなみにnoteはこちらからどうぞ。

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